IGPI卒業生紹介

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鈴木 明典

ジェットスター・ジャパン株式会社
CFO
財務本部長
2010年10月IGPI入社、2014年6月退職

成長路線にシフトし
日本一のLCCの座を
これからも守り抜く

上海でのリターンマッチ

 チャンスがあるならもう一度、中国で事業をやり切りたい。そんなリベンジの思いがあって、2010年にIGPIに入社しました。
 以前は大手損保会社に勤め、主に財務畑で国際関係の仕事に従事していました。新卒で入って17年間、その半分以上を海外で過ごし、最後の5年間は中国に駐在。その際、現地の保険会社に出向し、責任のあるポジションに就く機会に恵まれました当時、中国は高度成長期の真っ只中、追い風もあり、経営の立場であらゆるものをゼロからつくり上げていくおもしろさを知りました。
 そこで、中国で新規事業を立ち上げようと仲間と共に始めたのですが、思うようにいかず、結局、米国系ヘルスケアの会社に転職、2年ほど財務業務に携わった頃に、IGPIと縁を持ちました。
 当時、IGPIは、海外でのオフィス創設を検討しており、その一つの候補として中国がありました。そこで、中国で事業のスタートアップを経験していた私に声が掛かったのです。

コンサルティングのイロハを学び、いざ中国へ

 IGPI入社当時は、中国でビジネスをすることは決まっていたものの、実際にどういう形で、どういった人間をどれくらい送り込み、どのような体制で行うか、一切決まっていませんでした。私自身コンサルティングのバックグラウンドではなかったので、まずは東京オフィスでいくつかのプロジェクトに加わり、コンサルティングのイロハを学びました。
 ようやく半年後、中国に赴き、現地の日本企業を訪問させていただきながら、どのようなニーズがあるのかを調査しました。それを基にビジネスプランをつくり、東京のパートナーの方たちにプレゼン。そうしたやりとりを重ねて、ついにGoサインが出て、11年に待望の「益基譜管理諮詢(上海)有限公司」が開所しました。
 今にして思えば、よくあの重圧に耐えられたなと思います。自分でビジネスプランをつくって中国に来たわけですから、結果を出さなくてはならない。けれど、営業は手探り状態。無我夢中でしたね。幸い、語学についてはさほど問題はありませんでした。かつて現地の保険会社に出向したとき、2年かけて北京語を習得し、上海語も聞き取れるレベルにまで達していましたから。あのとき苦労して勉強してよかった。語学と財務のスキルが、私のキャリア形成を助けてくれました。
 奮闘すること数ヶ月、ようやく初受注したときは嬉しかったですね。0を1にすることは、1を2にするよりも難しい。自分の力でお客さまから仕事をいただいた感動は今でも忘れられません。

LCC業界に飛び込み、ターンアラウンドに挑戦

 IGPIからの前向きな卒業について考え始めたのは、事業が軌道に乗り、私の後任も見つかった頃からだと思います。もともと事業会社で仕事をしてきたこともあり、コンサルティング業界でキャリアを全うするよりも、いずれは戻りたいという思いがあったのです。
 そんなときに知り合いから紹介されたのが、ジェットスター・ジャパン株式会社の財務本部長の職でした。ジェットスターといえば、オーストラリアのLCC業界におけるマーケットリーダー。そのビジネスモデルを日本でも展開しようと、12年7月より運航を開始しましたが、日本独自の規制や慣行などローカル色が強いビジネスゆえ、現地で成功したやり方がそのまま通用するとは限らず、ここ日本では大きな損失を抱えていました。これをいかにターンアラウンドさせるか? 難題を抱えていたのです。
 会社の状況を把握したところ、事業計画はあったものの、現実離れしたものでした。新たに作り直すためには、なぜ今のプランがダメなのかを理解してもらうことが必要です。それにはまず、私自身を信用してもらわなければいけない。 そこで役立ったのが、IGPIでの経験です。といっても、そんなに特別なことではありません。正しいと思ったことはきちんと説明する。言ったこととやることを合わせる。人の言うことをちゃんと聞く。この3つです。
 9ヵ月という時間がかかりましたが、私の指揮のもと事業計画を作り直すことに。早速、株主の方や社内の関係者を集めてプロジェクトチームをつくり、いろいろな人たちを巻き込んで事業計画の策定に着手しました。その結果、計画づくりが自分事になり、つくったからには自分たちで責任を負うように、という流れに。すると、計画を上回る数字を出し続け、1年後に事業の黒字化に成功。現在、その成長のスピードは加速度を増しています。日本一のLCCの座を守り抜くために、これからも力を注いでいくつもりです。